初心者のためのキリスト教会Q&A

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三浦綾子作品を読んでキリスト教会をのぞいてみたい方、結婚式が教会式なので基本的な考え方や用語を覚えたい方、学校がミッション系だけど教会へは行ったことがない学生の方など、はじめてに足を運ぶ方が疑問に思うだろうな…という点について、極力わかりやすく解説してみました。

 

■キリスト教会へいく上での疑問

 

1 どこの教会へ通えばいいの?
2 教会へはいついけばいいの?
3 聖書や賛美歌集は持っていかないとダメ?
4 信仰告白ってなに?
5 主の祈りってなに?
6 音符が読めないけど賛美歌は歌えるの?
7 献金ていくら払えばいいの?
8 洗礼ってなに?

 

■キリスト教会へ行ってからの疑問

 

1 キリスト教ってどんな教えなの?
2 キリスト教の神様ってどんな方?
3 三位一体の神って?
4 新約聖書と旧約聖書の違いって?
5 聖餐式って?
6 礼拝の説教が理解出来ない
7 教会の人達となじめない
8 毎週、日曜日礼拝に出席できない

 

1 どこの教会へ通えばいいの?

 

まずこのHPは「三浦綾子記念ページ」ですので読んでいる方も圧倒的に三浦綾子さんの読者である方が多いと思います。

 

三浦綾子さんは日本キリスト教団というプロテスタントの教派へ所属されていました。プロテスタントとしては、日本最大規模の教会数・信徒数をもっていますので、あなたがいらっしゃる街にもあるかも。

 

じゃあ、ほかの教派たとえばカトリックの人たちと仲が悪かったかといえば、そんなことはないよ。教派が違っても天はひとつ、信じているイエス・キリストも同じですから。

 

三浦綾子さんが、求道者(キリストを信じたいと思った人)のために書いた「光あるうちに」という本があるのですが、その本のなかで綾子さんは特定の教派を進めていないし、日本キリスト教団という単語を、私はあえて綾子さんは使わなかったんだと思います。

 

かといって日本キリスト教団が、悪いといってるんじゃないんですが(わたしも同じ教派だし、学校だと青山学院や同志社が系列)。正しくイエス・キリストを信じている教会であれば、どこの教派を選んでも問題ないということです。

 

 じゃあ、正しくイエス・キリストを信じている教会って、具体的にどういう教会なの?かというと。

 

1.三位一体を信じていること(神は三つの形でこの世界に存在すること…例えば地球上には水という物質は、気体、液体、固体、という形で存在しますが、それと同じように、この世界に創造主は、神、神の子、聖霊、という形で存在する)

 

2.ちゃんとした聖書[例えば新共同訳、共同訳、新改訳]をつかっていること(勝手にあとから加筆されたものは×…この点については後から解説します)。

 

この2点について問題なければ、大丈夫だと思います。地上には多数の教派が存在しますが、その教派の違いはチューリップの花の色・形の違いのように、神が与えてくれた多様性だと思います。

 

服のサイズだって、1サイズしかなかったら、そのサイズぴったりの人はいいでしょうけど、その他の人はみんな困ってしまいます。あなたにとって、サイズのぴったり合う教会を探してみてください。

 

上記の1.2.を満たしていれば、それらの教会はみんな天国という1つの教会へ続いていますよ。

 

 あと当たり前だと言われるかもしれませんが、牧師や神父と呼ばれている人が「実はわたしがキリストの生まれ変わりなんです」というとか、「この人がキリストの生まれ変わりなんです」というとか、「ああ、イエスの十字架は、失敗です、何の意味もありません、キリスト(救い主という意味)?そんなわけないでしょう、はは」という教会はキリスト教の教会ではありません。

 

キリスト教の皮をかぶった新興宗教でしょう。基本的に新興宗教って、仏教系を装ったものが多いみたいなんですが(仏教徒日本多いし)、キリスト教を装ったものもあるようです。

 

そこいらへんの判断は、あなた自身の感覚や常識、あるいは三浦綾子愛読者ページなどに相談して、確認する方がいいと思います。

 

それから、キリスト教とはキリストを救い主と信じる教えです。ですのでキリストの十字架は失敗だったとか…そういったキリストに対する捉えかたが大きくちがっているエホバの証人(もみの木)さん、末日聖徒キリスト教(モルモン教)さん、統一教会さん、の教会は、あなたが三浦綾子さんが信じたキリスト教を求めているのであれば、お勧めできません。

 

でも、これらの宗教も、キリスト教ではないけれども、違う宗教として尊重してあげるのは、すごく大切ですよね。話がそれますが、わたし駅前をぶらついてると、時々モルモン教の方に声かけられたりするんですが、その時わたしは「末日聖徒さんでしょう?ごめんなさい、私プロテスタントの教会員なんです、でも末日聖徒さん伝道熱心で、すごいですよね、うちも見習わないと…じゃあね、がんばってね、またね!」と笑顔で大きく手を振ってその場を去ります、あちらも、笑顔で大きく手を振ってくれます。そこいらへんの事情は、あちらもわかってくれると思うので、あえて、補足させていただきました。

 

2 教会へはいついけばいいの?

 

キリスト教会は基本的に毎週日曜日に礼拝がありますので、日曜日に行くのがいいと思います。

 

わたしの知る限り朝10:30分から礼拝をするところが多いですので、その30分くらい前に教会についているのがベストかも。

 

ちなみに教派によっては、平日に夕拝や聖書勉強会を行っているところもあります。

 

ただはじめて出席するのであれば、礼拝が一番初心者の方にとってわかりやすいと思います。

 

ちなみにわたしのこのHPに「はじめてのキリスト教会体験入学リンク集」というのがありまして、そこにある礼拝のページで礼拝を疑似体験できますので参考までに見てみてもいいかも。

 

なお服装なのどついては、普段着でいって問題ないと思います。礼拝がある日に教会へ入っていくと、受付がありますのでそこに名前を書いた後礼拝に出席することになります。

 

3 聖書や賛美歌集は持っていかないとダメ?

 

そんなことは、ありません。聖書を持っていかなくても、ほとんどの教会には予備用の聖書と賛美歌が準備されています。

 

礼拝がある日曜日に教会内に入っていくと、受付が設けられていますので、そこで「はじめて礼拝に出席するので貸してほしい」といえば無料で貸してくれると思います。

 

万が一有料だというならその教会からは、さよならしたほうが無難です。

 

それから教会・教派によって使用する聖書の種類が違う場合があります。日本語の翻訳した時期や人の違いによって新共同訳、共同訳、新改訳、があります。

 

教会にしばらく通ってみて、この教会に所属しようと思ってからその教会でつかっている聖書を買えばいいと思います。

 

あと讃美歌集は各教派によってかなり中身が違います。古今東西の賛美歌は何万曲もあり、それぞれの教派によって、いいなと思った歌をもりこんで編集しますので多種多様です。

 

よって賛美歌集は絶対に、この教会に所属しようと思ってから買うのがいいです。

 

4 信仰告白ってなに?

 

信仰告白というのは礼拝の冒頭でみんなで声を合わせて読むキリスト教の誕生に至る過程を凝縮した文章のことです。

 

小説でいえば、あらすじ、みたいなものかな。信仰告白が礼拝で行われるようになったのは聖書が使われるよりもずっと早く、よって礼拝の重要な要(かなめ)でもあります。

 

この信仰告白は教派によって違います。ちなみに日本キリスト教団は、こんな感じです。

 

「我らは信じかつ告白す。旧新約聖書は、神の霊感によりて成り、キリストを証し、福音の真理を示し、教会の拠るぺき唯一の正典なり。されば聖書は聖霊によりて、神につき、救いにつきて、全き知識を我らに与うる神の言葉にして、信仰と生活との誤りなき規範なり。主イエス・キリストによりて啓示せられ、聖書において証せられる唯一の神は、父・子・聖霊なる、三位一体の神にていましたもう。御子は我ら罪人の救いのために人と成り、十字架にかかり、ひとたび己を全き犠牲として神にささげ、我らの贖いとなりたまえり。神は恵みをもて我らを選び、ただキリストを信ずる信仰により、我らの罪を赦して義としたもう。この変らざる恵みのうちに、聖霊は我らを潔めて義の果を結ばしめ、その御業を成就したもう。教会は主キリストの体にして、恵みにより召されたる者の集いなり。教会は公の礼拝を守り、福音を正しく宜べ伝え、バプテスマと主の晩餐との聖礼典を執り行い、愛のわざに励みつつ、主の再び来りたもう日を待ち望む。我らはかく信じ、代々の聖徒と共に、信徒信条を告白す。我は天地の造り主、全能の父なる神を信ず。我はその独り子、我らの主、イエス・キリストを信ず。主は聖霊によりてやどり、処女マリヤより生れ、ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け、十字架につけられ,死にて葬られ、陰府にくだり、三日目に死人のうちよりよみがえり、天に昇り、全能の父なる神の右に坐したまえり、かしこより来りて、生ける者と死ねる者とを審きたまわん。我は聖霊を信ず、聖なる公同の教会、聖徒の交わり、罪の赦し、身体のよみがえり、永遠の生命を信ず。アーメン。」

 

なんか堅苦しいと思われる方もいるかもしれませんが、キリスト教の成立の過程がコンパクトにまとまっている感じです。

 

5 主の祈りってなに?

 

主の祈りとはイエス・キリストが、弟子たちからどうやって祈ったらいいかわからないと質問されたときに、教えた祈りです。

 

「天におられるわたしたちの父よ 御名(みな)が崇められますように 御国(みくに)が来ますように 御心(みこころ)が天に行われるがごとく 地にも行われますように わたし達に日ごとの糧を今日もお与えください わたしたちの負い目をお許しください わたしたちは自分に負い目のあるものを許しました わたしたちを試みにあわせず 悪しき者からお救いください 国と力と栄えとは 限りなくあなたのものです アーメン」

 

礼拝の際たいていは、信仰告白の後などに祈るようです。ちなみにこれも翻訳によって微妙に各教会違ったりするので、自分の所属することに決めた教会の言葉で、覚えるほうがいいです。

 

6 音符が読めないけど賛美歌は歌えるの?

 

実はわたしも音符がさっぱりわかりませんでした。ですので自衛策としてやったことをここに書きます。

 

礼拝中、知らない賛美歌がはじまったら1番は、まず歌わずよく聞いてなんとなくでも音の流れを覚えます。大抵の賛美歌は3、4番までありますので2番から多少間違ってもいいから、歌ってみます。

 

そうすると、同じ音運びを4回繰り返すわけですので、その曲については、なんとなく頭に残って次に同じ賛美歌が歌われる際には、初めてのときよりは歌えるようになっていると思います。

 

それから、賛美歌を早く覚えたいのであれば最初のうちは礼拝に休まず参加するほうがいいと思います、わたしも通い始めて半年は1回も休まず出席しました。

 

それとこれは日本キリスト教団にいってる方にとっては役に立つのですがわたしのこのHPのはじめてのキリスト教会体験入学リンク集の賛美歌のページに行くと、無料で日本キリスト教団で使っている讃美歌集「賛美歌21」にのっている曲を聴けますんで該当する方は参考にしてください。

 

7 献金ていくら払えばいいの?

 

礼拝の終わりのほうに献金袋が回ってきます。

 

三浦綾子さんは著書「光あるうちに」で「1円でも10円でも100円でも1000円でも、それぞれの自由意志に従ってよい」と書いていますが、実際1円を献金したり、あるいは献金をまったくしなのも、まわりから浮きそうで怖いといった声も聞きます。

 

そこで礼拝を牧師の労働という視点で考えてみようと思います。礼拝は約1時間。

 

1時間パートなどで働いた場合700円〜1000円くらいでしょうから、そこいらへんの額をわたしは献金しています。

 

ただ財布の中身があんまりないときは500円玉を献金するときもよくあります。

 

ちなみにわたしの今までの最高献金額は5000円で、最低献金額は23円です。

 

わたし、非常に貧乏な時期がありまして、その頃出席した礼拝で献金袋が回ってきたので献金しようと財布をみたら、真剣に23円しかなくて、それを掴んで献金したのが最低の金額です。でも聖書にあるように、金額でイエス様はわたしたちを評価するんじゃありません、ですからわたしは安心して23円をそのとき献金しました〜♪

 

8 洗礼ってなに?

 

 洗礼(せんれい)とは、イエス様の弟子になる契約をする儀式のことをいいます。

 

この儀式をすると、晴れて教会の皆さんからクリスチャン、教会員として認めてもらえることになり毎月一回聖餐式の時にパンとぶどう酒(ほとんどの教会ではブドウジュース)がいただけることになります。

 

ちなみに、それまでは、求道者(きゅうどうしゃ)とよばれる分類になります。わたしも、今のところ求道者です。

 

それから三浦綾子さんの「道ありき」に三浦綾子さんが洗礼を受ける前後のことについて詳しく書いてあるので、ぜひ読んでみてね。

 

■キリスト教会へ行ってからの疑問

 

1 キリスト教ってどんな教えなの?

 

要約すると「キリスト教会へいく上での疑問」の6にある信仰告白に行き着くんですが、イメージしやすいように日本風にアレンジして説明すると。

 

TVの水戸黄門を思い出してください。水戸黄門は勧善懲悪の時代劇ですから、結末では水戸黄門一行が印籠というか地位というか権威をふりかざして、必ず悪い者が処罰されて、善いものが救われる、となりますよね。

 

ここに登場する水戸黄門をまずイエス・キリストに頭の中で入れ替えてください。

 

そして良い農民が悪代官に刀で切り殺されそうになったとき、水戸黄門一行がさっそうと現れるところまでは同じなんですが、水戸黄門一行なら武力で悪を懲らしめて、善い農民を救うところを、イエス・キリストはどうしたかというと、善い農民を突き飛ばして代わりに自分が切られてしまう…そして死んでしまう。

 

助かった善い農民は、神の子が自分の代わりに死んでくれたと感動してキリストを信じるようになるし、殺してしまった悪代官は自分は神の子を殺してしまったんだからきっとものすごく苦しむ方法で殺されるに違いないとおびえて震えていると、なんとキリストが復活して、悪代官はうわー自分は絶対ひどい殺され方をされるに違いないと思ってひれ伏していると、キリストは「あなたを、許します」といって一切罰しない。

 

悪代官は自分のような罪を犯した者にも許すといってくれるこの人こそ神の子だと確信するようになるし、ようは、権威を懲らしめるために使うか、許すために使うかの違いなんですが…その復活したキリストの語るメッセージとは「天地を創造した神は、信じるものの一人たりとも滅びることを望まない神です、どんな罪を犯しても本気で神の前で悔い改めるなら、天地の創造主は、あなたを許します」だった、この出来事の象徴として十字架が使われるんです(このシュチレーションなら教会の上に刀があることになっちゃうけど)。

 

だから、教会の上に十字架がある。
こんな、感じのつまり愛と許しの教えです。

 

2 キリスト教の神様ってどんな方?

 

一言で言ってしまえば、この世界全部を作った方、天地を創造した創造主です。

 

でもこの創造主を信じる宗教には他にユダヤ教イスラム教があります。じゃあキリスト教は、ユダヤ教やイスラム教とどこが違うのでしょう。

 

キリスト教はユダヤ教国家イスラエルで2000年前発生した宗教です、ユダヤ教の創造主は聖で正しい、だけれどそれゆえに聖だからこそ汚れをはじき正しいからこそ不義を滅ぼすという捉え方でした。

 

でも人間て、わざとにしろ、うっかりにしろ、罪を犯さずには生きていけないものです、罪という言葉がしっくりこなければ、人を傷つけずには生きていけないもの…でもかまいません。

 

オセロでたとえればユダヤ教の基準でいくと1つでも黒(悪いこと)があると残り全部が白(正しい)の人でもその人は悪となります。誰も守れないくらい厳しい正義の基準がそこにはありました。

 

そんな時代に自分は神の子だというイエス・キリストが現れました、そして創造主は聖で正しい、だが、同時に愛であり許しの神なのだと人々に知らせます。

 

それまでは善行、つまりよい行いをしなければ救われないととかれていましたが、キリストはただ信じればいいと言ったのです。そしてどんな重い罪を犯しても心から神を信じてそのことを悔い改めるなら、許される、つまり許しの神です。

 

それまでは人々は自分が不義なら、滅ぼされるという恐怖感を持っていましたが、キリストのメッセージは、神は人々を滅ぼそうと思っているのでなく救おうと思っているということ。

 

そして人々が許されたとしても、それらの人々が犯した罪は残ります。その罪を代わりに償うためにキリストがこの世界に派遣されたのです。

 

そして全人類を救うため全人類の罪を背負ったからこそ神の子キリストを殺してしまうほどの毒があったのでしょう。

 

このキリストが人類に対して自分の命を捨ててでも示してくれた愛、これを聖愛(アガッペ)といいますが、この行為によって、創造主が愛の神であることを示したのです。

 

このようにキリスト教の信仰で一番大切なものは、愛です。天地創造の神がイエス・キリストをこの地上に送って人々に示したのは、聖だけれど恐れの対象でもあった神が、実は同時に愛の神であり許しの神であることでした。創造主とイエス、それに聖霊をたした三位一体の神をキリスト教では、信じています。

 

3 三位一体の神って?

 

三位一体(サンミイッタイ)について、まず説明します。

 

三位とはそれぞれ、創造主、イエス・キリスト、聖霊を指します。

 

創造主とは、この世界を作った神様のことでユダヤ教もイスラム教も、この神様を信じています。

 

イエス・キリストを説明しますとイエスというのは名前で、キリストというのは救い主という意味です。この方は2000年前生まれて自分は創造主の子供なんだと主張しました。

 

聖霊は、イエスが処刑されその後復活した後天に昇っていくときに弟子たちに「あなた方に聖霊を送る」と言い残し、その後、五旬祭というお祭りの日に弟子たちが集まって祈っていると激しい風のような音が聞こえ、天から赤い人間の舌に似た炎のようなものが弟子たちの頭上にとどまった、これを指します。

 

この3者が、別々なんだけど実は1つなんだよ、ということを三位一体というんですが。

 

この部分については諸説あって神学的な論争も多々あるようですが、わたし個人はこう考えています。「神は三つの形でこの世界に存在すること…例えば地球上には水という物質は、気体、液体、固体、という形で存在しますが、それと同じように、この世界に創造主は、神、神の子、聖霊、という形で存在する」と。

 

それからキリスト教の神学の世界には三位一体のほかにも単性論などの、こんがらがってしまう問題がころがっていますが、深入りしなくていいと思います。

 

キリスト教で一番大切なものは、愛で、理屈ではないですしね。

 

4 新約聖書と旧約聖書の違いって?

 

キリスト教の聖書は、大きく旧約聖書と新約聖書に分けることができます。

 

何を起点に分けているかといえば、イエス・キリストの誕生です。

 

ちなみに紀元前と紀元後(西暦)も同じくイエス・キリストの誕生で分けられていますので、今は西暦2010年ですからイエス・キリストが誕生して今年で2010年目となりますね。

 

旧約聖書と新約聖書に共通している「約」という字は、天地を創った神、創造主と人間との「契約」を指し、ですから旧約とは旧(ふる)い契約、新約とは新しい契約をさします。

 

どんな契約かといえば、旧約は十戒に代表されるように行動についての規則が書かれてあり、例えば一人の人間の心のなかをオセロにみたてると一つでも黒があれば、残りが白でも全部が悪という非常に厳しい内容です。全部が白でなくては、神の救いの対象になりません。

 

新約は、イエス・キリストがもたらした新しい契約で、イエス・キリストを神の子、救い主と信じさえすれば、救われるという内容です。

 

5 聖餐式って?

 

せいさんしき、と読みます。

 

洗礼を受けたクリスチャンだけが、受けられる、パンとぶどう酒(ほとんどの教会がブドウジュース)をいただく儀式。通常、1ヶ月に一回礼拝の最後ほうに行います。

 

洗礼を受けていないものにとって、この聖餐式の時間はヒマというかなんというか、洗礼を受けた方にとっては、パンとぶどう酒を口にする時間だからいいんでしょうけれど、受けていないものにとっては、疎外感を感じてしまったりする方もいると思います。

 

そこで私がその時間はどうしているかというと、両手を組んで目をつぶって祈っていたりします。そうすると聖餐式の邪魔にはならないし、自分も疎外感を感じなくて済むから。

 

6 礼拝の説教が理解出来ない

 

日曜日の礼拝のメインである牧師(カトリックなら神父)の説教は、子供からお年寄り、学生から年金生活者の方まで、様々な年齢・職業の人々に向けてのメッセージです。

 

普通に考えれば、これだけ広い年齢層にむけて例えば、あなたが話さなければならないとしたらどうてしょうか、お年寄りには、最近のカタカナ語は通じないでしょうし、子供達には、まだ習っていない難しい言葉は使えません。

 

それでも牧師は、いろいろな立場の人々に向かって話しますし、いろいろな立場の人々も、話を理解します。

 

それが可能なのは、聞いている人々が、聖書についての基礎知識をもっているからです。

 

基礎、ですから教会に通っているうちに、最初はわからなくても、だんだんとわかるようになってきますので、安心して下さい。

 

もし早めに基礎を身につけたい場合は、三浦綾子さんの「光あるうちに」や「新約聖書入門」をお薦めします。

 

7 教会の人達となじめない

 

キリスト教教会の構成員は、神様でもなければ、天使でもなく、当たり前のことですが、ただの人間です。もちろん、これを読んでいる、あなたも人間なんですが。

 

ですので、普段あなたが生活していると、仲がいい人とそうでない人がいるように、同じ意味で、教会のなかにもあなたと気が合う人と合わない人がいると思います。

 

もし、気が合う人がまったくいないとしたら、まあ、教会員が数人の教会ならそうようこともあるかもしれませんが、ひょっとしたら、まだ教会員の人と会話らしい会話をしていないってこと、ないでしょうか。

 

キリスト教会に来る求道者(キリスト教に興味をもって来た人)は、2つのタイプに分類できます。1つ目のタイプは、自分から話しかけれないので、話しかけて欲しいタイプの人で、私も内向的なほうなので、こっちです。2つ目のタイプは真反対で自分は神様に会いにきたんだから話かけないでというタイプです。

 

来訪者の割合でいうと、困ったことに半々です。教会の人は最初、あなたはどっちのタイプか迷いながら、判断する意味もかねて何気ない当たり障りのない話しかしないことが多いです。それと、もしかすると、ほんとは1つ目のタイプなのに2つ目と誤解されている可能性もあります。

 

そういう時には、1の内向的なタイプの方にはたいへんですが、できる限り、教会の集まり(祈祷会、家庭集会、ボランティアなど)には顔を出して、教会の人に話しかけてもらうチャンスを増やすことをお薦めします。

 

会話らしい会話をしたけど、どうも教会になじめない場合には、何件か、別の教会を訪ねてみていいかもしれません。キリスト教会も、地上の花々のようにバラエティー豊で、何件か訪ねていると、きっと、ここだ!と思える教会に巡り会えると思います。

 

なお、結びにあなたが、願い求めるキリスト教会に出会えることをお祈りさせていまだきます。天におられる我らの主よ、求道の志をもつ方を、どうか願い求めるキリスト教会に導いて下さい、貴き主、イエス・キリストの御名を通して、アーメン。

 

8 毎週、日曜日礼拝に出席できない

 

私が、所属している日本キリスト教団にも「日曜日は礼拝へ」という標語がありますし、確かに可能であれば、毎週通うことをお薦めします。

 

しかし教会員の方でも、お仕事の事情や、お体の具合、その他いろいろな事情で、日曜日の礼拝に毎週出席できない方が半分近くいます。

 

それは、仕方がないことです。日本のキリスト教徒は人口の1%しかいませんし、社会的には、キリスト教徒が、日曜日礼拝に出たいなんて、キリスト教徒以外の人々で知ってる人は、ほとんどいません。

 

ですので1年に一度クリスマスだけでもいいですし、4年に一度オリンピックの時だけでもいいですから、何にも気にすることなくご出席下さい。

 

それに、私の所属する教会のように、礼拝のなかでのお祈りで「さまざまな事情で出席を希望しているのに出席出来ない方々の上にも、等しい恵みを与えて下さい」とお祈りさせていただいている教会、多いと思いますので、もし出席できない時でも、日曜日の空いた時間にお祈りだけでも、しましょうね、だって、あなたの為にお祈りしている方が何人もいるのだから。

 

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