浅野と三浦作品の出会い

流星

「明日のあなたへー愛することは許すこと」その1

 

メガネ店に勤めて、いそがしく働いている2002年の1月か2月、23歳の頃だったと思います。

 

店は7時に閉店なのですが、翌日お客様にわたすメガネが10本近くあって、外回りをして疲れた体を無理やりがんばらせて、すべてつくり終わったのが、10時半でした。

 

残業代は出ませんでしたし、諸事情から休日出勤もしていたので、体も心も疲れがたまっていました。

 

疲れからくる眠気に襲われながら「これから1時間もかけて自宅に帰るのか…はあ…」とため息をつきながら車のハンドルを握り車道を走り始めました。

 

お店の看板の明かり以外は皆消えた、静まりかえった市街地の上を、冬の星々がやけに大きく瞬いています。

 

しばらく車を走らせ室内が暖かくなってきたころ、学生時代によく行っていた本屋の脇を通り過ぎようとしたら店内がまだ明るく閉店していないと知り車を停めて中に入りました。

 

閉店していない…といっても閉店まであと15分しかないようで店内には客はほとんどいませんでした。

 

私はふらふらと学生時代よく本を買っていた文庫コーナーへ行きました。小説を読む時間はとれないかもしれないが、エッセイとかなら大丈夫かも…。そんな理由で読みやすそうなエッセイを探しました。

 

その時たまたま手にとったのが、集英社夏イチというカバーがついた「明日ののあなたへ」でした。

 

あ…氷点とかいう小説を書いた人だ…そういえばしばらく前「知ってるつもり」でこの人の生涯をやってたな何かすごい人生だったんだよね…もう亡くなっちゃったんだよね確か…と思い出し、「どんなこと書いてあるんだろう」と開いてみました。

 

最初のページは『氷点』のストーリーについて述べてありました。氷点という小説はけっこう売れたはず…作家の創作余談とかが書いてあるかも(私の考えていた創作余談とは小説の表現についての工夫とか、書き方とかで、まさかこの時、三浦綾子さんが自分の作品を通して、信仰について語っているなんて、微塵も思っていませんでした)。

 

それなら懐かしいから買っていこう。学生時代旧友と小説などの文章表現についてよく話していたこと、遠くにもう過ぎ去ってしまったことをなつかしむ、思い出すきっかけになればと思って、私はそれを買い足早に店を出ました。

 

「明日のあなたへー愛することは許すこと」その2

 

うちについたのは深夜12時近くなっていました、夕食はとっていなかったから、ほんとはおなかが減ってるはずなんですが、空腹感はなく、帰ると服を着替え布団にもぐりました。

 

学生の頃はそういえば…文庫本一つ買うのでも、大きな買い物だったから、ものすごく慎重に買ってたっけ…。それを思い出して、1分くらいぱっと眺めて「明日のあなたへ」を買った自分が、すごくぜいたくなことをしたように感じました。

 

でも仕事がんばってるから、自分へのごほうびだから、いいや。そう考え直して、布団から顔と両手を出して文庫を開きました。

 

読み進めるうちに、こんな本は読んだことがないぞ!? と思いました。単語的にもキリストとか許しとか、それまであまり読んだり考えたりしたことのないものでしたが、それ以上にこの本にでてくる人物は、お金や欲望や地位や名誉を求めるのでなく、愛や正しさや思いやり…そして信仰を求めているひとでした、三浦光世さん、西村久蔵さん、木崎フサ子さん、岡本佳子さん、みなほとんどが実在の…。

 

私のそれまでの価値観は、立派な人=お金がある人地位がある人、自分もそうなりたい、というものでした。

 

ですが、この本を読むうちに、お金がなくても地位がなくても、すばらしい人はたくさんいるんだ。

 

自分はむしろ、こういう生き方を目指すべきなんじゃないかと考え方が変わっていきました。

 

その日から毎晩、わたしは「明日のあなたへ」を読みました。この本は自分にとって、一度読んでおわりの本でなく読んで「自分ならどうするだろう…」と考えさらにもう一度読んで…を繰り返す本になりました。

 

それまで天空にある星のように遠く感じでいたキリスト教というものが、三浦綾子さん「明日のあなたへ」を読んだら自分の目の前に急に落っこちてきた、へんに身近に感じてきた、そんな気がしたのを覚えています。

 

「道ありき」その1

 

私にとって前述の「明日のあなたへ」は、私がその後読むことになる三浦作品をしめしてくれた地図のような存在でした。

 

「明日のあなたへ」で紹介されていた作品は代表作の「氷点」はじめ「塩狩峠」「道ありき」「愛の鬼才」「風はいずこより」。

 

「明日のあなたへ」というエッセイを通して三浦綾子さんを知ったわたしは、小説家三浦綾子よりも、人間三浦綾子さん、もっといえば三浦綾子さんの価値観に興味を持ちました。

 

どうして、この人の書く文章には、配慮や思いやりがあるのだろう、生まれつきなんだろうか? それとも何かの体験から配慮や思いやりを学んだんだろうか?

 

おそらくキリスト教やその信徒の方の影響だろうということは想像できますが、それが具体的にどのようなものだったのか、それが知りたくて「明日のあなたへ」に三浦さんの自伝小説として紹介されていた「道ありき」を手にとることになります。2002年の2月から3月だったと思います。この本を読む前まで私のもっていた、三浦綾子さんのイメージは「知ってるつもり?」というテレビ番組に多分に影響されています。

 

そのテレビ番組を通してみた三浦綾子さんの人生を私がどう感じたかといえば、すごく不幸な人生だったけど支えてくれる人がいっぱいいたのね、というものでした。

 

「脊椎カリエスになったため、綾子はすがるようにキリスト教の洗礼をうけました…」というナレーションと一緒にギブスベットに体をうずめたまま両手を胸の前で組んでいる写真がTVに映し出された場面を憶えています。それで私は、すがる…つまり神頼み的な心境で洗礼(キリストの弟子となる契約)をするんなら、似たようなことは仏教徒にもあるし、なんだキリスト教もたいした変わらない、と誤解していました。

 

「道ありき」その2

 

自伝小説「道ありき」には三浦綾子さんの心の風景が、テレビで見たときより鮮明に描かれていました。

 

そこに描かれた洗礼の場面は、TV番組のように悲壮な、すがりつくような、ごりやくを求めての洗礼ではなく、神を、キリストを、救い主と信じたい、ただそれだけの無償の見返りを求めない、行為として書かれていました。

 

私はここを読んだ時、がく然としました。その頃私は、仕事が忙しく、小説よりも手軽に見れるレンタルの映画をよく見ていました。

 

小説には、何時間あれば読み終わります、とは書いてありませんが、レンタルのDVDなどには2時間何分などと書いてあります。少ない休日の大切な時間を計算できる点で、いいし、友人などが薦めてくれる名作と呼ばれる映画を選んで見ていましたので、映像という表現芸術こそ最高の表現だと思っていました。

 

しかし、TV番組という映像を通してみた三浦綾子さんの人生には、小説には書いてあった2つのものが、大切な2つのものが欠けていると思いました。

 

1つめは、番組が1時間であったため、細部が省略されていることです、その省略された細部がなければわたしは、三浦綾子さんに惹かれていないし、その細部はカレーライスの具のようなもので、その具をふんだんに盛り込める小説という表現も、映像に負けずと劣らないすばらしい、表現なんじゃないか。

 

90年代以降、衰退した小説という表現にも、人間の内面を詳細に書けるという点で今後も、必要な役割をもっている、そう思いました。

 

もう1つ欠けていると思ったのが、信仰だと、私は信仰を持ってもいないくせに思いました。春光台の丘の前川正さんが綾子さんのために自分の足に石を打ちつける場面も、前川正さんが信仰を持っていなければ、説明できない。

 

TV番組でみたその場面は、前川正さんが、三浦綾子さんを愛しているから、そうした。というように描いてありましたが、なんだかそうなのかな…?と思ったのを憶えています。

 

小説にかかれたように、信仰に根ざした愛、信仰がなければ、やっぱり説明できないものだと思いました。

 

今、考えると「自分の足を石で打ちつけるという行為」を、TV番組は男女の愛、性愛、エロスとして捉えたのに対して、原作である小説の方はキリストが人類に命を賭けて示してくれた、聖愛、アガぺー、といっているのだと思います。

 

「道ありき」その3

 

私はこのTV番組と小説の捉え方の違いから、三浦綾子さんの本「明日のあなたへ」にある愛の分類を思い出しました。

 

愛をアガぺー、スルトげー(家族愛)、フィリヤ(友愛)、エロス、の4つに分ける考え方。

 

アガぺーは普段あまり見たり聞いたりしない、と三浦綾子さんが書き、アガペーの例としてキリストの十字架や 洞爺丸の2人の宣教師、が示されていました。

 

……ひょっとすると、作家三浦綾子という人間を正確に理解するには、信仰というものについて学ばないと「知ってるつもり?」のスタッフが聖愛を性愛と書いてしまったように、正確に捉えれないんじゃないか? そう考えるようになりました。

 

それに私は三浦綾子さんの小説やエッセイにでてくるような愛や思いやりをもった人間に自分もなりたいと憧れるようになっていました。

 

お金持ちや地位の高い人でなく、前川正さんや西村久蔵さんのように。そのためには、三浦綾子さんの小説やエッセイを読むだけでなく、三浦綾子さんが信じたキリスト教という信仰が必要なんじゃないか、と。

 

「光あるうちに」その1

 

そう思って手にとったのが「光あるうちにー信仰入門編」でした。

 

そのころ私は、キリスト教というものが、どういった信仰なのか、さっぱりわかりませんでした。

 

なんでイエス・キリストがそんなに、すばらしいのか? それもわかりませんでしたし、なんでイエス・キリストが神の子なのかも、わかりませんでした。

 

それに私の心には、そのころ一種の絶望が深く根をはっていました。人が信じられませんでした。自分の周りの人々に絶望していた部分もありましたが、もっとも絶望していたのは、自分の協調性のなさでした。

 

この性格は、なにを信じようと何を食べようと飲もうと、かわらない。それは深い深い絶望でした。自分は、自分さえよければいいと思っている、そうやって生きてきたし、これからも生きていくだろう。

 

それが自分には耐え難いほど苦しいことでした。自分の絶望は、だれも解決できない。そう思って自暴自棄になっていた自分に、三浦綾子さんのエッセイに出てくる人々の、他人を思いやる心づかいや行動は、驚きでした。でも、生まれつき、そういう人々は優しい気質を備えて生まれてきたから、そうなわけで、自分は、そうなれっこない。

 

そう考えている自分がいる、でもこの自己中心の自分さえよければほかの人がどうなってもいいと思っている自分でも、変えることができる。愛のある人間になれますよ、というメッセージを三浦綾子さんの文章は、語っていて、それがキリスト教という信仰ですよ、と「光あるうちに」には書いてありました。

 

「光あるうちに」その2

 

私は、今回この文章を書くにあたって「光あるうちに」を読み返しました。そして、思わず泣いてしまいました。

 

自分という人間が、以前の自分とは違い、少しは他人を思いやれるようになっていることに気づいたためです。

 

「過去はいいのです、あなたも今からの一歩をキリストの愛を信じて歩んでみませんか」三浦綾子さんの、この言葉を信じて、教会の門をたたくことになったのです。

 

自分にとって割れてしまったガラス食器、光にさらしてしまったフィルムのようにどうしようもない過去を、過去はいいといってくれ、今からの人生を愛と希望を、そんなすばらしい思いとともに、歩んでいける道があるのか、と教えられ、キリストは信じられないけれど、三浦綾子さんなら信じられる、三浦綾子さんが言うんだから、だまされたと思って、教会に通ってみよう、そう決意したのは3年前のことです。

 

「愛の鬼才」その1

 

私は2002年の春からキリスト教会へ通いはじめて、半年くらいは教会へ休まず毎日曜日週通って読書もほとんど聖書でしたから、その聖書三昧の日々の後に読みました。

 

そのころ、私には1つの悩みが、心の中に生じていました。「道ありき」には三浦綾子さんがキリスト教を信じるまで、が書かれていますが、信じてから後のキリスト者としての生活についてはあまり記載がありません。

 

あるとしても病院に入院中という場面ですので、現実問題としてキリスト者というものが日常生活でどんなふうに考え、どんな風に行動すべきかが、わからなかったのです。

 

道ありきの続編の「この土の器をも」は、ちらと本屋で読んだのですが結婚生活に入ってからの信仰という感じだったので、自分としてはキリスト者としてのお手本がほしかったのです。

 

もちろん自分の教会の信徒の方々もお手本にしてはいるんです。ただたとえばスポーツをしている中学一年生が中学の先輩のフォームや技術にあこがれるのと、同じスポーツのプロの選手にあこがれるのとは違うように、自分にとってキリスト者としてプロの考え、行動をながめてみたい、という欲求があった感じです。

 

「愛の鬼才」その2

 

「愛の鬼才」には西村久蔵という世にもまれなクリスチャンの生涯が三浦綾子さんの熱い思いとともに書き込まれてありました。

 

生涯を書いた長編小説ですから、人生の山あり谷ありのとき、キリスト者はどうあるべきか、うれしいとき、悲しいとき、西村久蔵はどう考えたかが、具体的な行動とともに書いてあります。

 

読んでいて思うのは、西村久蔵という人間もすごいしそれを見事に書き上げた三浦綾子さんもすごいんですが、小説の随所で引用される西村久蔵の家族、友人、知人、教え子のコメントが、この小説の豊かな読後感に大きく影響していると思います。

 

私は、今もときどき自分のキリスト者としての姿勢に疑問が生じると読み返します。

 

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