はじめて教会へ行ったときのこと

十字架

生まれて初めてキリスト教教会に向けて一歩を踏み出した時の、危うい足どりを書いてみました。

 

だいいち関門

 

私が「よし! 教会へ行こう」と思っていちばん最初に困ったのは、どこの教会に通うかでした。

 

「光あるうち」に綾子さんが、電話帳でキリスト教会を調べてみて、電話して「イエスは本当にキリストでしょうか、救い主でしょうか?」と質問して「そうだ」と答えれる教会は大丈夫、と書いてありましたが、電話してそう質問する勇気もなく、本屋でキリスト教の教派について書いてある本を探して、立ち読みしてみました。

 

長老派ペンテゴステ派、ルター派、福音派などいろいろ書いてあったのですが、世界のキリスト教教派入門という本だったためか、電話帳にあった教会と名前が一致するところがなかったので…日本の教派入門という本を探したのですが、見つからなく、結局教会探しは、振り出しに戻ってしまいました。

 

私は教会探しをあきらめて、家でボーっと三浦綾子さんの本を読んでいました。なんで「キリスト教を信じるには教会が必要」と三浦綾子さんがいっているのかも、よくわかりませんでした。

 

自分ひとりでも、キリストを信じてさえいれば教会は行かなくてもいいような気がして、寝る前にどう祈っていいかもわかりませんでしたが、祈りの真似事のようなことも、していました。

 

ある日のこと、綾子さんのエッセイで「わたしの所属する日本キリスト教団の六条教会…」という言葉を読んで、見つけた!と思いました。

 

わたしには教派のことはよくわからないけど、三浦綾子さんを通してキリストという人を信じたいんだから、三浦綾子さんと同じ教派がいい!

 

だいに関門

 

そんな理由で、日本キリスト教団の教会を自分の住んでいる近辺で電話帳を使って探してみました。

 

今はなくなってしまいましたが、その当時郡山教会には前を通る大通りに向けてたたみ四枚ほどの大きな看板がありました。

 

住所を読んで、ああ、あのでかい看板のある教会が同じ教派なんだ、と気づいてそこにしようと決めました。

 

最初、日本キリスト教団と書いているのを目にしたときは、日本キリスト教団があるんだから、アメリカキリスト教団やドイツキリスト教団もあって、なんかそういう新興宗教なのかな…と誤解していました。

 

古い木造の2階建ての教会、目の前の大通りを歩いて過ぎたことはあるけど、近づいてみたことは、なかったから、ひとまず近づいてみようと思いました。

 

平日の午後3時過ぎ…わたしは一人大通りから北に向かって伸びる細い路地を教会へ向かって歩き始めました、なんだか周りの目が気になって、1歩歩いては周りをきょろきょろみて、傍目から見ると「この人、なんか泥棒でもしたの?」という感じに挙動不審でした。

 

教会の小さな鉄の門は閉まっていて、どうやら今日は休みなのかも、と気づきました。

 

門のそばに提示版があって、そこに何か書いてあるのはわかっていましたが、立ち止まって読んでいると、何か周りから声をかけられはしないかとなぜかおびえて、そのまま通り過ぎて、100メートルほど先でユーターンして、また門の前まで来て、横目で書いてあることを一気に読みました。

 

読んだといっても緊張のためか中身はさっぱり覚えていず、ただ礼拝というものは、どうやら日曜日にやるものらしいということだけ、わかりました。

 

じゃあ礼拝というものに通うには日曜日にこないといけないんだな…と思いました。

 

だいさん関門

 

わたしはふと教会の周りを一周してみようと思いました、それはできれば礼拝に出席する前に牧師に面会しておいて、そのほうが教会の礼拝に突然出席するよりも、緊張せずにいいかなと思ったからです。

 

信徒は日曜日にしか来なくても、牧師なら教会にいるかもしれない、そう思って教会の周りを歩くことにしました。

 

さっき門があった反対側に行くと牧師館という牧師と家族が住む建物がありました。チャイムを見つけたわたしは、勇気をふりしぼって、それを押しました。

 

しかし、その日は、牧師は出かけていて、何度押しても、応答はありませんでした。

 

日曜日がやってきました。わたしは、礼拝の始まる1時間前から近くの公園に車を止めて、じーっとしています。というか、ほんとは、歩って行って教会に入りたいんですが、なぜか体が、一歩も動かずに、くるまからもおりれませんでした。

 

いかなきゃいかなきゃ、と思えば思うほど、からだは固まっていき、身動きがとれなくなります。

 

自分にとってはお寺や神社は子供のころから行きなれていましたが、教会というところには、ほとんどいったこともなく、しかも知ってる人も一人ももいませんから、変な表現ですが、怖くて怖くて仕方ないのです。

 

何で怖いのか理由がないんですが、別に入ったことのないラーメン屋さんに一人で入ることもできるわたしですが、なぜか教会には、怖くていけなかったんです。

 

ふとわれに返ると、礼拝が始まる時間は過ぎていて、わたしは仕方なしに、うちに帰りました。教会の近くまでは来るんだけど、教会への一歩が踏みきれないままの日々は1ヶ月続きました。

 

だいよん関門

 

1ヶ月も教会の近くまで行くのに、教会へ入れない日々をすごして、わたしは少しあせってきました。

 

なんかひょっとすると、このまま自分は教会へ通えないんじゃないか、そう思うと怖さよりも、通えないことの危機感というかそっちのほうが、自分にとっては大変なことだと思えました。

 

その日曜日もわたしは教会近くの公園に車を止めて暑くもないのに、一人汗をかいていました。

 

ケイタイを開いて、時計を見ました。午前10時20分…ああ自分は今日も結局教会への一歩を踏み出せず、かえって行くのかなそう思うと、自分がとても情けない人間のように思えてきました。

 

どうがんばっても、勇気が出ない…。そう思いながら時計を見ていると時間がたってしまっていて10時28分…ああ、なんでここで、こうしているときに限って時間があっというまにたってしまうんだろうと、ため息をつきました。

 

わたしはふと思いました。歩いていく勇気はなくても…ひょっとすると今自分の手の中にあるケイタイをつかって「礼拝に参加したい」ということはできるんじゃないか、と。

 

わたしは車を降りて公園にあった電話ボックスで教会の電話番号を調べました。そして車の中に戻って、かけました。

 

「…はい、郡山教会です」3コールの後若い女性の声が電話口でいいました。わたしはおそるおそる震える声で「礼拝へ出席したいのですが」といいました。「あっ、どうぞ」そう明るく答えが返ってきました。わたしは何も考えずにというか考えれずに「はい…」と返事をして、電話をきりました。

 

だいご関門

 

「はい…」と答えたからには、わたしは律儀なほうですので、なんとしても行くんだ!と、まるで手術台に向かう心境で、車を出て教会へ歩き出しました。

 

礼拝は10時30分からでしたので考えている時間はありません。とにかく早足で歩きました。4月なのに、やけに暑かったことを覚えています、もちろんわたしだけがあつがっていたようですが。

 

門の前に来ると黒い小さな鉄の門は開いて背の高い初老の男性が、立っていました「おはようございます」そう声をかけられてわたしは小さな声で「おはようございます」と応答しました。

 

教会の中に入ると涼しく少し歩いたところに、受付があって2人の女性が立っていました。そこまでいってわたしは「さきほど電話したものなんですが、礼拝に参加したんですけども…」と言いました。

 

「あっ、どうぞどうぞ、ここに名前を書いてください」そういわれて、出席者の名前を書くノートに自分の名前を書き「聖書と賛美歌はお持ちですか?」という質問に首を横に振った私は、貸し出し用の聖書と賛美歌を借りて、はじめて礼拝堂に足を踏み入れました。

 

前のほうの席はかなり埋まっていたので、後ろのほうの、一番すみっこのほうの席にわたしは座りました。

 

オルガンの音色が聞こえてきます、席の一番前の先には右側にオルガン、左側にはいけ花があります。中央には台があって、きっとそこで牧師が話すんだろうな、と思いました。

 

台の後ろには木で作った2メートル近い十字架があって、改めて、ここが教会なんだと、思いました。

 

だいろく関門

 

わたしが席について一分もたたないうちに、礼拝の始まりを告げるオルガンの前奏がはじまりました。

 

その後、聖書の言葉が読まれて、賛美歌が始まりました。わたしは初めてのことですから、賛美歌の89番を歌います、といわれても、わかりません、わたしが、あたふたしていると、隣に座っていた初老の女性の方が、89番を開いた賛美歌集を私にわたしてくれました。

 

わたしは黙礼をして、そのページを見ましたが、音符の読めないわたしには、どう歌えばいいのかさっぱりわかりませんでした。

 

みんなが歌っているなかで、一人歌えないのは、疎外感というか孤独感というか、そういうものを感じました、賛美歌が終わるまで、やけに長く思えました。

 

その後、信仰告白といってキリスト教の信仰を凝縮したような文章を読むのですが、それが最初なんか新興宗教っぽくて好きになれませんでした。信仰告白を読んだあとまた賛美歌があって、そのあと「光りあるうちに」にも書いてあった主の祈りがありました。

 

ただ郡山教会では口語訳で読んでいたので「光あるうちに」で覚えた文語訳では、まずいんだな…と思いました。主の祈りの後、さらに賛美歌があり、そして今日の説教でとりあげる聖書のかしょが読まれて、牧師の説教が始まりました。

 

それはルカ福音書の最初の部分でした。羊飼いたちが牧場で深夜に羊たちが狼や狐などに襲われないように、寝ずに番をしていました。その時、突如太陽のように明るい光が天から降ってきて羊飼いたちの周りいったいを昼のように照らしました。

 

驚いた羊飼いたちが、おびえて腰をぬかしていると、太陽のように見えたのは天使で、天使はこういいます。

 

だいなな関門

 

「恐れるな。私は民全体に伝えられる、大きな喜びを告げる、今日ナザレの町で救い主がお生まれになった。あなた方は飼い葉おけに眠る乳飲み子をみるであろう…」

 

お気づきの方もいると思いますが、有名な「聖この夜」の聖書箇所だったのです。

 

これはわたしにとって幸いでした。キリスト教のことがさっぱりわかっていないわたしにとって、唯一場面の思い浮かぶ場面だったからです。

 

その日の聖書の説教の大部分は忘れてしまいましたが、3年たった今でも覚えているのは。

 

「馬小屋はけして清潔な場所ではなく、出産という女性にとって命がけの試練にもっとも不向きな場所かもしれません。同じように子供にとっても、こんなところで生まれたくなんかない場所でナンバー1ではないでしょうか。馬のうんちのにおいのする場所で生まれたなんて、自分がその立場だったら、話したくないでしょう? イエス・キリストは、王宮に生まれたのでもなく、獣の臭いのする馬小屋で生まれたのです、それはもっとも惨めな場所での誕生でした、なぜならイエス・キリストはこの世の人々を一人残らず救うため、もっとも悲惨な人生を生きるためにこの世に生まれたからです。その最後が十字架の死…しかも自分を師としてあおいできた弟子たちが一人残らず裏切って、何の悪いこともしていないのに、死刑囚として処刑される。そのこの世でもっとも悲惨な人生を生きるためにキリストは生まれたのです。そしてこの世に生きる人々の困難をみな体験した上で、復活し、天に戻られたからこそ、わたしたち一人一人を真の意味で救うことのできる、救い主なのです」
そんな内容でした。

 

だいはち関門

 

礼拝のおわりに、報告連絡というのがあって、ホームレスの方への給食の日程や、地区音楽祭の場所が決まりました…などの報告の後、はじめての来訪者として、私の名前が呼ばれました。

 

わたしは「浅野といいます。はじめて教会の礼拝に主席しました、なんというか…感動しました」と短く小さな声で言って、席に座りました。その後拍手があって、礼拝が終わりました。

 

すると静かに座っていたみんなが、まわりの人々と世間話をはじめました。初めての来訪者である私に話しかける人がいるわけもなく、わたしは足早に教会を後にしました。

 

わたしはまっすぐうちに帰らずに図書館によりました。図書館に入って、いすに座って初めて、自分の心臓がすごくどきどきしていたことに気がつきました。

 

なんとか…それははいつくばっていったようなものでしたが、何とか教会へいけたことに喜びが沸いてきました。

 

それから半年間、わたしは毎週欠かさず礼拝へ通いました、教会が居心地がいいから毎週通ったのではなく、一度休んでしまうと足が遠のいてしまうのが怖くて、とにかく出席しようと思って、いっていたというのが、正直なところです。

 

聖書と賛美歌は2回目の礼拝の後近くの本屋買いもとめました。賛美歌練習会や、家庭礼拝など、とにかく最初のころは参加できるものは何でも参加していました。

 

今振りかえって思うのは、自分は教会へ通い始めてよかったな、ということ、最初は困難なことも多いと思うけど、失望せずに、歩いていってくださいね、だって希望は、失望に終わらないんですから。

 

結びに読んでくださって、ありがとうございました! あなたの希望が、失望に終わりませんように、イエス・キリストの貴き御名を通して、アーメン! 2005年7月11日午後3時半〜午後6時55分までまとめて一気に書きました、ではでは、また☆

 

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